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61-1 12月17日。
 去年のこの日、緊急入院だった。2週間で退院できた。病気しらずで過ごして来た身にはこたえた。同時期に家人も入院し、残されたヤマブキボタンインコのポッチとフッチは飢え死にさせる寸前だったし、大雪続きですずめ達はかなり死んだ。
 血管の病気は詰まれば梗塞、切れれば脳か心臓の出血、時間を掛けて食事療法などで治すしか無い。夏は鮎釣りで川の中を駆け回り、帰りには温泉につかると云う自称リハビリで健康を取り戻したと思う。たった2週間でも年末の忙しい時期に倒れて顧客には迷惑を掛けた。自営業には大きな信用問題、広告代理店など時間に追われる仕事は切れた。残ったのは人間的な付合いをしてきたと思っているものだけ。余分な欲は消えた、影響は随分でたけど生きていただけで丸儲けと思うことにした。普段の生活を送ることがどんなに幸せな事かと感じる日々。すずめ達「ロッコノコ」には毎日逢える。旅に出たひよどり達にはきっと逢えると信じている「元気でいるか〜」




 


 この頃妙に気になることは、百人一首の 蝉丸の一首。
  これやこの 行くも帰るも 別れては 
         知るも知らぬも 逢坂の関

 むかし、昔。まだ田舎に実家があった頃、大晦日に家族で百人一首をする習慣があった。父母、長兄、兄嫁、次兄、姉二人と末っ子のボク。大家族だったし今考えるといい感じの家庭だったのかな。5〜6歳だったろうか、初めて一人前に仲間に入れてもらった。
 上の句を読み終わらないうちにほとんどの札は大人たちに捕られた。一枚も捕れない悔しさにベソをかきだした頃
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」という「蝉丸」の歌が詠まれる。この一首だけは大人は捕らない。最年少の参加者に譲られる習慣だった。その札はボクの目の前に置かれている。「あった」と勢いよく飛びつく、それで機嫌が直りゲームは和やかに続く…
 なぜ「蝉丸の歌」 だったのか、父の思うところがあったのだろうが、反発ばかりしていたボクは聞き忘れた。
年末のちょっとセンチな一日… でした。


61-2 12月29日。
  雪が舞っている。すずめ達は朝から入り浸りだ。正月用の記念撮影に協力させる。
今年も無事に終わった。なによりも健康をほぼ取り戻したし、愛しいピーサンは随分遅れたけど帰って来た。そして8月に旅に出た。ロッコグループは3年目に全員姿を消したのが寂しいがロッコノコグループを残してくれた。…なんとか「すずめとひよどりの解放区」は続けていけそう。




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